【要約】
【野球】江川卓氏、32歳で引退の理由明かす「入るときは大変でしたから。辞める時はすんなりと」に関するネット上の反応をまとめました。主な意見として、「https://news.yahoo.co.jp/articles/6e2a4571c651912ba3fdf898ace8985c973def1e ...」や「ウィキに江川卓(野球)ってなってるけど野球以外で江川卓がいるのか?」といった声が寄せられています。
4 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:33:16.47
ウィキに江川卓(野球)ってなってるけど野球以外で江川卓がいるのか?
10 警備員[Lv.25] 2026/07/21(火) 23:36:39.24
まぁうちの会社も300倍くらいの競争率で入ったけど辞めるときはあっさりだったよ
そんなもんだろ
そんなもんだろ
12 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:36:46.20
この世代の老害って140km前半のくせに「昔はスピードガンの性能が悪くて、実際は155kmは出てた.」とか言うよな
マジキモいんだけど
マジキモいんだけど
13 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:36:54.37
王さんが自宅にまで残留要請したからすんなりでは無いな。二桁勝って辞めたんだから。
17 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:39:01.39
レジェン堂は遠藤玲子がいい
21 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:41:20.20
大変にしたのは自分の我儘のせいだろうが
いや我儘ってか掟破りの違反者だよね
永久追放になっても文句言えないレベルの
22 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:41:20.24
>>1
「いつも同じ場所に立って同じ場所に球投げる…つまらないでしょこれw」
「いつも同じ場所に立って同じ場所に球投げる…つまらないでしょこれw」
本当のことが言えない野球選手かわいそう
スポーツやったことあるやつなら誰でも分かるよなぁ
24 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:41:44.18
王監督と不仲説
27 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:42:41.10
昭和の怪物
28 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:45:28.57
卓の話は信じるな
32 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:47:26.85
クロマティに「やめたいけどローンがあるからやめられないんだよ」と語ってたとかなんとか
33 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:49:05.09
慶應に落ちたのは阪急の指名を断ったから(阪急創設者小林一三は慶應OB)
36 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:49:49.08
中国針のせいじゃなかったのか
49 名無しさん@恐縮です 2026/07/21(火) 23:59:17.05
小学生の時父親に連れられて後楽園や神宮で何回か登板を見たけど
ストレートとかーぶだけでテンポが早くて8時ちょっとでよく試合が終わってた
ストレートとかーぶだけでテンポが早くて8時ちょっとでよく試合が終わってた
52 名無しさん@恐縮です 2026/07/22(水) 00:01:41.57
昔のプロ野球選手は34くらいで引退してたな
57 名無しさん@恐縮です 2026/07/22(水) 00:07:22.25
進退を賭けて小早川に投げた渾身のストレートが138km/hだったからな
その後日本シリーズでも投げてたけど終始130台だった気がする
かつて150前後を普通に投げてた身からすると耐えられなかったんだろう
その後日本シリーズでも投げてたけど終始130台だった気がする
かつて150前後を普通に投げてた身からすると耐えられなかったんだろう
62 名無しさん@恐縮です 2026/07/22(水) 00:13:24.92
社会人も同じ

江川卓氏が32歳で引退の理由明かす「入るときは大変でしたから。辞める時はすんなりと」プロ野球レジェン堂出演
プロ野球、巨人OBの江川卓氏(71)=野球評論家=が21日放送のBSフジ「プロ野球レジェン堂」(火曜後10.0)に出演した。
4月の出演では、いわゆる空白の一日など、入団前のエピソードが豊富過ぎて、プロ入り前までの話で2週分の収録時間が尽きてしまった。2度目の出演は巨人入団後について、フリーアナウンサー、徳光和夫(85)に語った。
現役はわずか9年、32歳での引退だった。
「肩を痛めていて、次の年(現役を)やったら(1年目の成績の)9勝10敗を下回ると思ったからです。(10勝を切ったら)2年目でも辞めようと思っていましたから」
現役最終シーズンとなった1987年の成績は、26試合に投げ、13勝5敗、防御率3.51だった。
「まあまあいい成績でしたが、その年は一生懸命、最後だと思ったやってたので。(引退の意向は)5月に決めた。家族には言ってました」
ただ心残りがあるという。翌88年から巨人の本拠地が後楽園から東京ドームに移った。
「最後、小早川君(広島)に打たれなかったら、割り切って、ひと桁(勝利)でも東京ドームでやってみるかと思ったかもしれない。小早川君に恨みとかないですよ。うまく打ったなと思いましたね。見事な選手だったと思います」
1987年9月20日の広島戦(広島)の九回、小早川毅彦にサヨナラホームランを浴びて引退を最終決断した。
その試合は調子がよく「来年いけるかな、これに懸けようと思って投げていた。これを打たれたら終わり、抑えたらもう1年という感じで投げたんですけど、見事に打たれたので、やめなさいということだと」。法大の後輩、小早川にはこの試合2発を浴びた。
徳光アナが「生涯の仕事をそんな簡単に辞められるんですか」と聞くと「それまですごく考えているんですよ。肩を痛めてからずっと。満足しない投球が5年ぐらい続いていましたから。プロのボールじゃないと」と振り返っていた。
徳光アナが「もっと見たかった」と告げると「(プロに)入るときは(空白の一日があって)大変でしたから。辞める時はすんなりと」と苦笑いしていた。
通算成績は266試合登板、135勝72敗3S、防御率3.02、獲得したタイトルは最多勝、最高勝率2回、最多奪三振3回、最優秀防御率1回だった。