船事故

「会いたい」知床観光船沈没事故から5か月 悲劇の真相は…長野県スキーバス事故と酷似する"安全軽視" (22/09/24 19:30)

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概要欄

北海道知床半島沖で観光船が沈没した事故から5か月。

 この事故では、18人の死亡が確認され、依然、8人の行方が分かっていません。

 悲劇の一因となったのは、『安全軽視』。事業者の安全軽視の末に引き起こされる重大な事故は後を絶ちません。

 被害者家族が抱える切実な思いに耳を傾けます。

 国後島とサハリンで見つかり、ようやく戻ってきた3人の遺体。

 そしてボランティアで捜索を続ける漁師の桜井憲二さんらが発見した頭の骨。

 9月、観光船の乗客と乗員であることが判明しました。

 捜索ボランティア 桜井 憲二さん:「物理的にあがってくることはないと思っていたので驚きましたよね。やっぱり、帰りたかったんでしょうね」

 さらに桜井さんたちは9月17日にも、知床半島の先端付近で男性の遺体を発見、警察が身元の確認を急いでいます。

 知床沖で26人が乗る観光船KAZU1が沈没した事故から5か月。

 18人の死亡が確認された一方、8人の行方がわかっていません。

 田中 うた乃 記者:「すごくいいお写真ですね」

 7歳の息子の父親:「はい」

 白樺並木沿いを元気よく走っているのは、男性の息子です。

 あの日、母親と一緒にKAZU1に乗った後、行方がわからなくなっています。

 男性はこの写真に写る息子に毎日話しかけています。

 7歳の息子の父親:「おはよう」「おやすみ」「どこにいるの」

 2人の帰りを待ち続ける男性。

 先日、2人の部屋を整理した際に出てきたものを見せてくれました。

 7歳の息子の父親:「息子が作った おもいで」

 田中 うた乃 記者「工作? 」

 7歳の息子の父親:「そうですね。自分の顔だと思います。これ保育園の頃の」

 田中 うた乃 記者:「車掌さん、電車好きだったのですね。」

 7歳の息子の父親:「ふとした瞬間に、2人のことを思い出してしまって。食べ物とか見ても、『これ好きだったな』って。家にいてスプーン1つとっても、息子がよくこれ使って食べていたなと思い出したりして。何で見つからないのかなと思いますし、息子のことを多分、母親が今も守っていると思うので、見つかるときは2人一緒に見つかるんじゃないかと思っています」

「2人に会いたい」

 時がたつほどその思いは増しています。一方、頭から離れない感情もあります。

 7歳の息子の父親:「許せない。憎いという思いですね。海が荒れるのをわかっていて、周りが船を出すなというのに船を出した運航会社が一番悪いけど、それをきちんと管理できていなかった国の責任もかなりあると思います」

 安全軽視が生んだ悲劇。

 1.15サクラソウの会 田原 義則 代表:「びっくりしましたね。似ていると思った。軽井沢町との事故と事故に至る経緯がすごく似ている」

 そして知床と同じように国内では6年半前にも同じような事故がありました。

 安全軽視の末に起きた重大な事故は、6年半前にも。

 1.15サクラソウの会 田原 義則 代表:「事故の1週間後にわかったんですけど、息子の寛がバスの中でもっていた本。内容を読んだら中にバスのガラスの破片がはさまっていたので、バスに持って行ったと実感したのと、相当衝撃が強かったんだと」

 田原義則さん。2016年1月、長野県・軽井沢町で起きたスキーバスの転落事故で当時、大学生だった19歳の次男・寛さんを失いました。

 運転手が大型バスの運転に不慣れだったにも関わらず、運行会社が必要な指導をしてこなかったことなどが指摘されています。

 背景には事業を急激に拡大する一方、運転手の確保と教育が追いつかない安全軽視の姿勢があったとみられています。

 知床遊覧船 桂田 精一 社長:「海が荒れるようであれば引き返す"条件付き運航"を豊田徳幸船長と打ち合わせ、事故当日の出航を決定した」

 操縦経験が浅い船長に難しい海を任せていた知床遊覧船。

 沈没事故の特別監査では、出航判断の基準を守らなかったなど19件もの法令違反が判明、安全意識の欠如が浮き彫りとなりました。

 1.15サクラソウの会 田原 義則 代表:「事故にいたる経緯が軽井沢町のスキーバス事故とすごく似ている。同時に防げたと。遺族や行方不明者の家族はすごく悔しい思いをしている」

 田原さんは遺族会を立ち上げて、監査の強化など、国の再発防止策に意見を反映させてきました。

 だからこそ同じような構図で起きた知床の事故を思う時、観光船でも、この対策を応用できたのではと悔しさをにじませます。

 1.15サクラソウの会 田原 義則 代表:「船の運航の仕組みにも展開をしてもらっていれば、沈没事故は防げたんじゃないかと思う」

 対策を徹底すれば防げたはずの悲劇…。

 そしてさらに田原さんを苦しめているのが原因と責任が明確にならない時間です。

 バスの運行会社の社長らが業務上過失致死傷の罪に問われている裁判が始まったのは、2021年10月…事故から5年半が経過していました。

 1.15サクラソウの会 田原 義則 代表:「うやむやになったまま被害者は待たされる。その間は処罰もなく、ほかの業界への警鐘もなく時間が経つ。たまらないと思う。遺族の方々。ご家族の方々」

 事故から5か月が経ち秋を迎えた知床半島。

 水上 孝一郎 記者:「桂田さん! 桂田さん! 」

 4月の会見以降、多くを語らない社長に7歳の息子とその母親の帰りを待つ家族はこう訴えます。

 7歳の息子の父親:「自分が責任を認めているならもっと説明できると思うけど、それすらしないで逃げてばかりじゃないですか。今回の事故が起こったという現実が毎日頭の中にあって、2人と会えないのかな、本当に会えないのかなって、そればかり考えていて気が変になりそうなくらいつらいですね」

 事故の真相はいつ解明されるのでしょうか。 

 家族にとって辛く苦しい時間が流れ続けています。

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