北海道知床沖で観光船が沈没した事故から、11月23日で7か月がたちます。20人が亡くなり、いまだ6人が行方不明のままです。
悲劇を未来にどう生かすのか。知床で生きる人たちの思いとは?
協和漁業部「OYAJI」店長・漁師 古坂 彰彦さん:「地元の俺らが食べている、おいしい食べ方を味わってもらいたい。うちの会社で取った魚しか出さない。他のものは使わない。種類は限られちゃうけど、その中でいろいろアレンジしていこうかなと」
北海道斜里町で魚料理の店を始めた、漁師の古坂彰彦さん。
自分で取った魚を振る舞うのが好きなのがきっかけで、自身の愛称の「OYAJI」を店名にしました。
メニューに並ぶのは、知床の豊かな海の幸です。
協和漁業部「OYAJI」店長・漁師 古坂 彰彦さん:「沖に行けば思い出しますよ、だんだん寒くなってくると。あの時も寒い日でしたから、船に乗れば思い出します」
4月23日、知床沖で乗客・乗員26人の観光船「KAZU1」(カズワン)が沈没した事故。
古坂さんは副救助長として連日、捜索にあたりました。
事故から4日目に、古坂さんの班が菓子やゲーム機などが入った小さなリュックサックを発見。亡くなった3歳の女の子のものでした。
当時捜索にあたった 古坂 彰彦さん:「孫がちょうど3歳の女の子。ゲームもよくしていて、重なってしまって。本当にかわいそうだなと思う」
20人が亡くなり、今も6人の行方がわかっていません。
協和漁業部「OYAJI」店長・漁師 古坂 彰彦さん:「船に乗っていると漂流物とか必ず見て走っているので、何か変わったものがあれば寄って見る」
行方不明者の手がかりはないか。今も漁の合間に目を凝らします。
あの日から7か月。沈没事故は知床で生きる人たちに大きな影を投げかけました。
悲劇を未来への教訓とする、町の人たちの思いとは。
斜里町で民宿を営む、伊藤憲子さん。
毎月、事故が起きた23日に献花台で花を手向け、行方不明者の発見を祈っています。
民宿石山 女将 伊藤 憲子さん:「朝に海を見て『どこにいるの』って心の中で叫んでいる。冬が来ると流氷が来るし、あと6人はどうなるのかなと。その人たちも早く家族のもとに帰りたいだろうと思って」
30年以上、知床で民宿を切り盛りしてきました。今回の事故の犠牲者とも、かつて関わりがありました。
民宿石山 女将 伊藤 憲子さん:「10年近く前に斜里町ウトロに来て、民宿石山に泊まった人が亡くなったっていう情報が入った。『知床はすごくいいところだから』と、両親を連れてきていたみたい。本当にかわいそう」
17年前に世界自然遺産に登録されて以来、観光客の人気を集めてきた知床。
コロナ禍で打撃を受けましたが、行動制限が解除された2022年は期待が寄せられていました。
しかし、事故の影響でコロナ禍以前の3年前に比べ、観光客数は6割ほどに留まっています。地元の大手のホテルでは。
北こぶしリゾート 佐々木 晃也さん:「観光に行くとなるとどうしても、余暇・楽しみに行くというニュアンスが含まれると思う。事故があった中で『ぜひ来てください』というのは、若干言いづらい部分はあった」
沈没事故のイメージが、観光に暗い影を落としています。斜里町の馬場隆町長は事故を教訓に、何とか観光を前に進めようとしています。
斜里町 馬場 隆 町長:「海ばかりではなくて、陸も含めてさまざまなアクティビティ提供をこれからもしていこうと考えている。絶対リスクゼロはありえない。自然の中で楽しんでもらうために、どんなリスクがあるか。リスクを低減するために、どんなことをしたらいいか。それぞれの立場でできること、提供する人、町としてできることは何なのか。総ざらいしながらきちんと取り組む姿勢と行動を多くの人に伝えることが、安心して知床にお越しいただくことにつながる」
あの事故からの新たな出発を模索しています。
斜里町 馬場 隆 町長:「計り知れない悲しみ・苦しみを与えた事故ですから、本当に二度と起こしてはならない。新しい知床、新しい斜里町を築き上げるぐらいの気持ちでいかなければならない」
知床を訪れる人たちの安全を守るために、何ができるのか。知床で生きる人たちは苦しみながらも、それぞれの答えを探しています。町の職員は。
斜里町 健康子育て課長 茂木 千歳さん:「ご家族とお話をする機会があった。息子さんを亡くされた方で『息子の死を無駄にしないで、ここの町はこんなに頑張っていて、行きたいって思える町になるまで頑張ってほしい』と家族が言っていた。それを聞いたときに、そうだなって。その気持ちを忘れずに、大事にすることが知床への信頼回復につながっていけばいいと思います」
観光に携わる人は。
北こぶしリゾート 佐々木 晃也さん:「避難訓練や消防の訓練はもともとやってきたが、改めてこのような事故が現実に起きるということ。よりリアルな想定をしながら、起こった時にどう対応できるのか考えながら対応してきた。知床の観光に携わる者として、決して忘れてはいけないことだと思っている。二度と起こさないと、観光の一員としてしっかり頭に置きながら前に進みたい」
共通するのは知床に対する愛情です。
民宿石山 女将 伊藤 憲子さん:「来てくれる人に喜んで帰ってもらうには、病気にさせない。そして、無事に帰ってもらう。お客様に寄り添っていくということ」
協和漁業部「OYAJI」店長・漁師 古坂 彰彦さん:「あれだけの大きな事故でしたから、みんな悲惨な思いをした。ただ、みんなそろそろ立ち直ろうと、それぞれ工夫して努力している最中。なんとか知床を盛り返そうという感じかな」
事故の深い傷跡を未来にどう生かすか。知床で生きる人たちは心に深く刻み、向き合い続けています。