【要約】
【サッカー】森保監督 ドーハの悲劇を回顧… 頭上をクロスが「スローモーションのように」「残り数十秒で、夢がすり抜けていった」に関するネット上の反応をまとめました。主な意見として、「https://news.yahoo.co.jp/articles/0e5d89ba008ee655d6c63df8a1e5407cc7297cdd ...」、「今回はそんな思い出無しに敗退だから心配すな!」、「最後は笑いに変えるから 今の子どもに嫌がられるかなー」といった声が寄せられています。
今の子どもに嫌がられるかなー
トラウマ級の出来事なんだけど
教え子の槙野相手なので話し易そうだった
いや、あと一歩とかねえから
一歩も100歩もクソもないから
それを言ったら、日本は2018、2022も
「GL敗退同然のGL突破」
だからな?
2018はフェアプレーポイント差とかいうので突破
2022はラインアウトでもおかしくない判定で突破
つまり、日本は2002、2010しかちゃんとGL突破してないようなもんだ
それも2002はポッド1の自国開催
だから7大会で、2010W杯しかちゃんとGL突破してない
そういうのを頭に入れろな
これ、ひょっとして当時はテレ東でやってなかったっけ?
テレ東はさすがにねえか?
TBSとかか?
でも当時は、ダイヤモンドサッカーとかサッカー番組がテレ東とかだったしな
悲劇見た瞬間、どんな思いだかはよく覚えてねえな
まあ、当時はそこまで
「W杯に出てくれ〜」
と思ってなかったのかもな
ジョホールバルの奇跡の時は、よく覚えてるがな
それまでの予選もな
この時より大幅にレベルアップしたと思われる98年初出場の時ですら手も足も出なかったんだから
そのまま本戦まで行ったら盆と正月が一緒に来たってなるどころかむしろ烏滸がましささえ出そうだが
参考
⭐サッカーワールドカップ
人気があり過ぎて48カ国に拡大中。
当然全員プロ選手⚽
🪰世界草やきう大会(wbc)
いつもの3カ国程度のメンツにアマチュアを大量参加させてようやく毎回成立w 不人気競技の鉄板w
当時レイプされたような気分
選ばれなかったのは単純に実力不足だったのか
アジア枠はあまり関係無いな
日本サッカーでもあの悲劇が教訓になってることなんていくらでもあるだろ
わしもGKをやって松永の気持ちがわかったぜ
バテバテだったのは分かるけどもう少し動けなかったのかと
ラモスなんて散歩してるみたいだったしw

森保一監督 ドーハの悲劇を回顧 頭上をクロスが…「スローモーションのように飛んでいく」
サッカー日本代表の森保一監督(57)が、9日放送の日本テレビ系「ザ!覚悟を決めた瞬間 SAMURAI BLUE 悲願のW杯優勝なるか」(後9・00)にVTR出演し、ドーハの悲劇を回顧した。
日本サッカー史上初めて、2大会連続でW杯で指揮を執る森保監督。番組では、その半生を本人や家族、関係者による証言VTRで紹介した。
高校時代の森保監督を見いだし、当時マツダ(後の広島)のコーチを務めていたハンス・オフト氏が、後に日本代表監督に就任。森保監督は、いきなり代表招集を受けた。
所属チームから知らせを受けたが、雲をつかむような話に、「冗談は分かりましたって」と返答したという。しかし、知らせは本当だった。
92年5月、浜松での代表合宿に参加。そこには、カズ、ラモス瑠偉、井原正巳、柱谷哲二、中山雅史らスター選手たちがズラリ集結していた。
森保監督は自伝本で「オフト監督が、若い僕に経験を積ませるために呼んでくれたのだろうと思うことにした」とつづっている。しかし、森保監督は先発に大抜擢。アルゼンチン戦で代表デビューを果たした。
93年にはJリーグが開幕。94年W杯米国大会を目指したアジア最終予選も始まった。しかし、1分け1敗の苦しいスタート。残り3試合を全勝するしか、道はなかった。
それでも、2連勝して首の皮一枚つながったオフト・ジャパン。最後のイラク戦に勝てば、初のW杯が決まる場面だった。試合会場はカタール・ドーハ。2—1とリードして迎えた後半アディショナルタイムに、悪夢は訪れた。
相手の右ショートコーナーからクロスを挙げられると、ゴール前の密集からヘディングで合わされ、ゴール左隅へ。日本の夢を絶つゴールが決まった。
悲劇の瞬間、森保監督もピッチ上にいた。クロスに対し、目いっぱいジャンプしてクリアを試みたが、ボールは無情にも頭上を越えていった。
「最後、コーナーキックから、自分がボールにアプローチしにいって、ディフェンスできず、自分の頭の上をボールがスローモーションのように飛んでいく。最後、失点するところは本当によく覚えている」。脳裏の深くに刻まれた、ショッキングな記憶だ。
「全てを懸けていると思って臨んだ。残り数十秒で、我々がアメリカのW杯に行けるというところで、手のひらから夢がすり抜けていった。その悲しさは凄くありましたね」と無念さを口にした。
98年フランス大会で、日本は初めてW杯に出場。しかし、森保は既に代表からは遠ざかっていた。「W杯に出たいという気持ちは、もちろん当時も持っていましたけど、力が足りなかった自分がいたので、そこの戦いに入れなかったのは悔しかったですね」と、率直な思いを明かした。