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青函連絡船【摩周丸】洞爺丸台風による沈没事故の歴史「北海道・函館市」

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昭和63年3月のダイヤ改正まで、青森から函館間を、国鉄~JR北海道が運行していた、青函連絡船「摩周丸」が、旧函館第二岸壁に係留保存。船内には昭和29年の台風15号で、洞爺丸ほか多数の青函連絡船が沈没した記録も残され閲覧できます。洞爺丸(3800t)は台風15号(洞爺丸台風、台風マリー)の強風の影響を受け、函館港外で座礁・転覆。乗員乗客の死亡および行方不明は約1300人という、タイタニック号に次ぐ日本最大の海難事故となった。遭難者があがった七重浜(ななえはま)に行って手を合わせてきました。昭和の時代、本州と北海道をつないだ青函連絡船の輸送は、昭和48年がピークで飛行機に移り、青函トンネルが開通。80年の輸送歴史が終わりました。

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