船事故

広島県神石高原町 神龍湖遊覧船沈没死亡事故と火の首

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概要欄

【帝釈峡シリーズ1】
日本百景に選定されている国定公園の帝釈峡には、大正13年(1924年)に帝釈川ダムの完成によって出現した神龍湖(しんりゅうこ)があります。神龍湖は、その形が龍に似ていることから命名されています。

【遊覧船沈没事故】
昭和9年(1934年)3月24日、粟田小学校の児童らが卒業記念の遠足で神龍湖の遊覧船に乗船したところ、湖の中央付近で突然浸水して沈没し、児童12人、男女の教師2人が亡くなる事故がありました。その慰霊碑が桜橋の袂に建立されています。帝釈川ダムが完成した大正13年(1924年)から10年後に起きた大事故でした。このことから当時、「魔の神龍湖」と報道されていたようです。

途中で立ち寄った廃屋は「永野」というところにあります。

「火の首」は、その場所が龍の首の部分に位置していることから、そのように名付けられていると思います。

「城後さん」とは、城後(じょうご)春五郎のことで、薬師如来像を刻み、分霊勧請してこの地に祀った人です。

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