自転車事故

レース中の死亡事故 Russell Phillips ラッセル・フィリップス、Toru Takahashi 高橋徹、Hitoshi Ogawa 小河等、Kiteh Odor キース・オドール

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概要欄

・高橋 徹は1983年10月23日、富士スピードウェイで行われた富士グラチャンシリーズ最終戦「富士マスターズ250キロレース」に出場。0:02 ~ 0:11
高橋は決勝レースでトップを走る星野一義を2位で追走していたが2周目の最終コーナー立ち上がりでスピンした。車体が後ろ向きになった事によりベンチュリ効果を失ったウイングカー(グランドエフェクトカーが高速で後ろ向きに走ると条件によりダウンフォースとは全く逆の揚力が発生する為と思われる)は木の葉の様に舞い上がり運転席側から250キロの速度で観客席フェンスに激突した(たぶん全身打撲で即死)享年23歳。その際マシンや破片の直撃を受けた観客1人が巻き添えで死亡した。

・小河 等は1992年5月24日 全日本F3000鈴鹿サーキット第4戦に出場。1:23 ~ 1:35
決勝レースで4位争いをしていたアンドリュー・ギルバートスコットと1コーナーの攻めぎ合いをした際、小河がイン側にフェイントをかけたあとアウトにラインを変えた瞬間2台は接触してしまう。小河のマシンはスコットのギアボックスに乗り上げ絡み合ったままコントロールを失って1コーナーでコースアウト。小河のマシンは減速できないまま波状に設置されたサンドトラップをジャンプ台のようにして飛び上がりコースサイドのタイヤバリアを飛び越えてフェンスの支柱に正面から激突した。小河は頸椎に深刻なダメージを負い脳幹損傷により死亡した享年36歳。またこの事故によりカメラマン1名が巻き込まれ死亡した。

・ラッセル・フィリップスは1995年10月6日 シャーロット・モータースピードウェイでのクラッシュで死亡した。1:42 ~ 1:45
クラッシュは67周のイベントの17周目に発生した。フィリップスのオールズモビルは10番手につけていたがターン4のエプロンで2台のスピンを避けるためにステアリングを高く切ったスティーブン・ハワードのマシンに追突された。ハワードのマシンはフィリップスのマシンを右側に押しやりルーフから防護壁に接触しフィリップスの車のロールバーはルーフを保護することができず車がキャッチフェンスに沿って引きずられた時、ロールバーもルーフ自体もコーションライトの固定具によって車から完全に粉砕されドライバーコンパートメントの内部が露出したフィリップスは壁とフェンスに粉々にされ即死してしまった享年26歳。

・キース・オドールは1995年9月11日 ベルリンのアヴスにおけるドイツ・スーパーツーリング選手権レースで事故死した。1:54 ~ 2:02
第2レースでヴィンケルホックとピーターコックスに次ぐ3位を走行していたオドールの日産プリメーラの左フロントサスペンションが破損しコントロール不能となりコンクリートウォールに激突した。オドールのプリメーラは2度スピンしてコース中央に停止してしまう。後ろに付けていたアルフリート・ヘーガーとハンスヨアヒム・スタックはこれを回避した際、ヘーガーはプリメーラを回転させてしまい、その後方からきたフランク・ビエラのアウディが右側面の運転席側に激突し重傷を負い翌日に死亡した享年33歳。

・ちなみに1:08 ~ 1:22は1990年 国際F3000選手権 開幕戦ドニントンパークでの事故。第2ラップでアラン・マクニッシュとエマニュエル・ナスペッティがエッセスシケイン前のストレートで接触した。マクニッシュの車体はコンクリートウォールを飛び越え回転しながらバラバラになり車体から外れたエンジンが観客の上に落ち押し潰し死亡させている。

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