知床沖で起きた観光船の沈没事故から7月23日で3か月となります。
14人が死亡、いまだ12人の行方がわからない状況の中、行方不明者の家族が苦しい胸の内を明かしました。
行方不明者の家族:「毎日つらいですよね。4月23日から時間が止まったままです」
カメラの前で言葉をふり絞る父親。7歳の息子ら家族2人が行方不明のままです。「あの日」…2人は旅行で知床を訪れ、観光船に乗りました。
男性は旅行には同行していませんでしたが直前まで連絡を取っていたといいます。
行方不明者の家族:「乗船直前の9時54分に最後のLINEをしたんですけど、既読がつかなかったんですよね。遊覧船の会社に電話をしてみたら、乗船名簿の名前を確認したら『乗っています』と言われて。そのまま車をウトロのほうまで走らせました。無事でいてくれ、向こうに着くまでは見つかってほしい、救助されててほしいなという思いでした」
悲劇から3か月。知床の現状と、帰りを待ち続ける家族の思いに迫ります。
4月23日。知床沖で起きた観光船の沈没事故では乗員乗客26人のうち、14人が死亡しました。そしていまも12人の行方がわかっていません。
7歳の息子ら家族2人が行方不明となっている父親は事故当日、ウトロに到着。現地で知床遊覧船の桂田精一社長から「船が行方不明になっている」と説明を受けたといいます。
行方不明者の家族:「4月23日は寒かったので、救命胴衣だけではダメだと思って『救命ボートは積んでますか?』『積んでいます』とその場では言っていて。実際は積んでいませんでした」
男性はウトロで国の説明会にも出席しましたが納得できるものではなかったといいます。
行方不明者の家族:「国もずさんすぎますよね、去年も2回座礁事故を起こしていると聞いて、今年も運航できるんだということもあるし、指導してそのあとがちゃんと改善されているか確認していないのが信じられないですね。(国が)ちゃんとしていればこの事故は防げたと思っているんですよね」
そして事故から1週間後、男性の元に行方不明の息子のリュックが届きました。
行方不明者の家族:「息子の一番気に入っていたリュックですね」
海保が捜索中に知床岬の海上で発見したといいます。
中には、眼鏡や衣類などが残されていました。
行方不明者の家族:「(眼鏡は)海に飛び込むときに、母親が失くしたら困ると思ってリュックにしまってくれたと思うんです。最後まで生きるつもりだと、生きる望みを捨ててなかったんだなと。これは息子が旅行に行く少し前にあげたキーホルダーで、『これに鍵とかつけてね』と渡しました。海水でさびになってしまいましたけど…。まさか、こういう形で戻ってくるとは…」
電車や外遊びが大好きだった7歳の息子。将来は外国に住んでみたいと話していました。
行方不明者の家族:「(息子は)すごく優しくて活発でしたね。やっぱり最後、船が傾いて沈んでいく中で、冷たい海に飛び込まなければいけない状況になって、どんなに怖かっただろうと。もう会えないのかなと思うと…。胸が張り裂けそうです。本当に苦しいですね」
事故は観光業にも暗い影を落としています。
田中 うた乃 記者:「7月17日は知床が世界自然遺産に登録された日で多くの観光客でにぎわう時期ですが、今年は人が少ないように見えます」
2005年に世界自然遺産に登録され、毎年、多くの観光客が訪れていた知床。しかし観光協会によりますと観光客は3割から4割減少し、6月、運航を再開した小型観光船では予約のキャンセルが相次ぎました。
観光船ドルフィン 菅原 浩也 社長:「ツアー会社は全部キャンセルです。個人のお客さんも多いんですけど、『来年は来ますから…』というかんじですね。売上は3分の1から5分の1くらいになっています」
安全対策を強化するため、ウトロを拠点とする小型観光船3社は単独で出航しないなどの自主ルールを決めました。さらに… 緊急時に備え船内に新しい警報機や業務無線などを設置。
田中 うた乃 記者:「こちらが新たに設置したビルジ警報機というものです。規定以上の水が船体に入ると警報が鳴る仕組みです」
救命いかだはひもを引くと自動で膨らみ、水に浮かぶもので1台で8人まで乗ることができます。
安全対策が進められる中、この日、船には30人ほどが乗っていました。全員ライフジャケットを着用し、知床岬の手前までの短いコースをめぐります。
乗客は知床ならではの景色を堪能したり、野生の動物の写真を撮影したりしていました。
乗船客:「素晴らしい景色が見られてとても楽しかったです。正直、はじめは心配でしたし、小さい船でどうだろうなと思いながら乗ったんですけど安全に走行していて、天気もよかったので心配せずに乗っていました」
斜里町の役場にはいまも多くの献花やメッセージなどが置かれています。献花は週に40束ほどあり、職員が交代で1日2回、手入れをしています。
斜里町 保健福祉課 茂木 千歳 さん:「とにかく皆さん、行方不明の方が見つかってほしいという思いがあって、切実な願いがこもっているお花なので、できるだけその思いが伝わればいいなと思って手入れをさせていただいております」
事故発生当初から対応に当たってきた馬場隆町長はこの3か月をこう表現します。
斜里町 馬場 隆 町長:「まだ行方不明者が12人いらっしゃる中では、本当に日々、悔しさが募ってきております。お客様が、知床を選ばなかったら良かったのか。船に乗ることを選ばなければ良かったのか。様々なことが私の頭の中をぐるぐる巡りまして、本当に悔しさがいつも占めている。そんな状況ですね」
世界遺産・知床を抱え、観光地として発展してきた斜里町。事故で大きなダメージを負った知床を立て直すためには安全面での総点検が必要だと話します。
斜里町 馬場 隆 町長:「今回、安全という部分で信頼を失うようなことがありましたけれども、だからこそ二度とこういうことは起こしてはならない。安全という面は、しっかり総点検、再点検した上で、改善すべきものは改善する、精度を上げるような、取り組みをやっていく必要があるのではないかなと思います。皆さんが知床に来たことも、船に乗ったことも間違いはなかったんだと堂々と誇りを思って言えるような知床にしていかなければ、(被害者に)本当に申し訳ないという思いです」
事故発生から7月23日で3か月。捜索を毎日続けているのは海保だけになるなど態勢は縮小しています。一方、6月にはロシアのサハリン南部で乗客とみられる男性の遺体が見つかったことから、行方不明者の家族は捜索範囲の拡大やロシア側への捜索の働きかけを強く求めています。
行方不明者の家族:「海保に聞いたら、ロシアに強く協力を呼び掛けていると言うだけで、実際どの程度、力をいれて協力をしているのか全く分からない。『形だけやっています』と、どうしても思ってしまう。いま一番思うのは捜索が打ち切られる不安があるので、全員見つかるまで、きちんとやってほしいと思います」
早く家族に会いたいー。男性は2人の帰りを待ち続けています。