北海道知床では地元の漁師らでつくる捜索ボランティアが行方不明者の数々の手がかりを見つけてきました。
2022年、最後となる捜索にUHBの記者も参加しました。
赤や黄に色づいた木々。その先には雄大なオホーツク海が広がっています。
水辺には2頭のクマが遊んでいる姿も。秋の知床を楽しもうと観光客も訪れていました。
青森からの観光客:「景色、山とのコントラスト、すごく素敵でした」
長崎からの観光客:「きれいでした。長崎ではこういう景色が見られないので良かった」
この自然豊かな知床で半年前、乗客・乗員26人を乗せた観光船KAZU1が沈没する事故が起きました。20人が死亡し、いまだ6人の行方がわかっていません。
田中 うた乃 記者:「沈没現場に近づいてきました」
私(田中うた乃記者)は事故直後から現地で取材を続けてきました。その中である家族と出会いました。7歳の息子とその母親の2人の帰りを待つ男性です。
7歳の息子の父親:「本当に毎日、目が覚めた瞬間から息子たちのことを考えてしまい、自分でもどうしようもできない。ただ毎日苦しくて悲しくて」
あの日、2人は旅行で知床を訪れ、観光船に乗船しました。船に乗る直前、母親が子どもの写真を男性に送ったきり、連絡は途絶えたままです。
7歳の息子の父親:「送ってきた動画を見てもすごく楽しそうにしていたので、どんなつらい思いで最後、海に飛び込んだかと思うと本当に胸が張り裂けそうで、つらいですね」
事故は、行方不明者の家族の生活も一変させました。
7歳の男の子の叔母:「『一人で残されるの辛いから、俺も一緒に沈みたかった』と言っていて、それを聞いてこんなつらいことが世の中にあるのかと思いました」
海保や道警の捜索は5月末の一斉捜索を最後に縮小しています。
行方不明者の家族はこのまま冬を迎え、さらに見つかりづらくなるのではないかと不安を感じていました。
7歳の息子の父親:「11月になったら知床は雪が降ってきて、陸上の捜索が難しくなる。海もかなり荒れて海上の捜索も厳しい状況になってくると聞いていますので、もうあまり時間がないと思っています」
一方、独自で捜索を続けている人たちがいます。
捜索ボランティア 桜井 憲二さん:「行方不明者の家族だけが取り残されていたので、それになんとか応えてあげたい」
これまで行方不明者の手がかりを見つけてきた捜索ボランティア。2022年10月9日、最後となる捜索に向かいました。
北海道羅臼町の漁師、桜井憲二さんが隊長を務める捜索ボランティア。5月以降、何度も知床岬周辺を捜索し、乗客の女性の頭の骨や船長の男性の遺体などを発見してきました。
捜索ボランティア 桜井 憲二さん(当時):「自分が遺族・家族の立場だったらって考えるよね。もしも自分の家族や子供が犠牲になったら」
行方不明者の家族や桜井さんらの姿を見るにつれ、私は自分にできることはないかと考え、今回ボランティアの一員として捜索に参加しました。
捜索ボランティア 桜井 憲二さん:「家族の方が少しでも後悔のないように見つけてあげられれば。出来る限り探してあげたい」
夜明けとともに、羅臼町の相泊漁港を船で出発。捜索のスタート地点となる文吉湾に1時間かけて向かいます。
今回は斜里側の文吉湾を出発し、知床岬を通過、羅臼側の赤岩の手前を折り返し地点として往復する計画です。
田中 うた乃 記者:「午前6時すぎです、文吉湾に到着しました。これから捜索に出発します」
周りには建物も道もありません。ゴロゴロとした大きな岩がある険しい海岸線を進み続けます。
文吉湾から約500メートルの啓吉湾の海岸線で、ボランティアの男性が小さな花束と線香を取り出しました。
ここは8月に乗客の女性の頭の骨を見つけた場所です。
捜索ボランティアの男性:「成仏してください…」
隣の入り江にある、船長の男性の遺体を発見した場所でも花を手向けました。
捜索ボランティアの男性:「遺族の方ってなかなか来れないと思うので、代わりに持って来られたらいいかなと」
海岸には大量の流木や漁に使う網など様々なものが流れ着いていました。
私もその中に何か手がかりになるものがないかと探し続けました。
ロシア語表記のジャケットを見つけ…
田中 うた乃 記者:「漁師のものですか?」
捜索ボランティア 桜井 憲二さん:「ロシア人のもの。反射テープがあるから、国境警備隊かもしれない」
捜索開始から6時間。手がかりがないまま折り返し地点を戻り、再び啓吉湾を捜索していたところ…。
ボランティアの一人が洞窟の奥まった場所で骨13個を見つけました。人か動物のものかはわかりませんでしたが、発見場所を記録し、警察に届けることにしました。
捜索ボランティア 桜井 憲二さん:「細い骨だけが分からない、いろんなものが混じっている」
捜索は午後1時すぎに終了し、文吉湾から船で港に戻りました。7時間以上、歩いた距離は12キロほどに上りました。
これまで捜索に4回、参加してきた女性はこんな思いを語ってくれました。
捜索ボランティアの女性(捜索に4回参加):「知床の山に来て遊んでいて、楽しいでしょ。それなのにこんな事故があって。自分にできることがあるんじゃないかなと思ったのと、何か見つかったら家族が前に進もうと思えるかなと。何も戻ってこなかったら、前に進めない」
11月になると知床の海は荒れ、陸には雪が積もります。そのため、今年の捜索はこの日が最後となりました。
捜索ボランティア 桜井 憲二さん:「世間の関心も薄れていくし、そんな中で行方不明者の家族だけが取り残されていたので、それになんとか応えてあげたい。残っている行方不明者の家族には、何かしら見つけてあげたかったが、自分たちができる範囲では、これが最後です」
10月17日、桜井さんに改めて捜索への思いを伺うため、私は7歳の息子とその母親の帰りを待つ男性らとともに向かいました。
7歳の息子の父親:「言葉では言い表せないくらい感謝しています、ありがとうございます」
捜索ボランティア 桜井 憲二さん:「みんなにも伝えます。気にしていました。本当は見つけてあげたかった、行く度に行く度に見つけてあげたかったのですが、申し訳ない」
7歳の男の子の叔母:「何かのきっかけで浮いてくる可能性はあるんでしょうか」
捜索ボランティア 桜井 憲二さん:「可能性はゼロではないと思います。流氷が去って春がきて。冬のしけは、いまと比べものにならないので、ひょっとしたらあるかもしれない。あとは11月末に定置網漁の網をあげるので、そこにひっかかる可能性はゼロではない」
可能性はゼロではない。行方不明者の家族の助けになりたいとずっと捜索を続けてきた桜井さんは自分にも言い聞かせるようにその言葉を繰り返していました。
捜索ボランティア 桜井 憲二さん:「お父さんが元気にならないと…。帰って来れていないけど、会えていないけれども、いつかはどこかで会えるのではないか。同じ地球にいるので」
事故発生から10月23日で半年。残された家族の苦しみは計り知れません。
二度と同じ悲劇が起こらないよう事故の教訓をどう生かしていくのか、今後も取材を続けていきます。