2022年4月、知床沖で観光船が沈没した事故から12月23日で8か月を迎えました。
沈没の原因が徐々に明らかになる一方、行方不明の家族の帰りを待つ男性の苦悩はいまも続いています。
道東の斜里町と羅臼町にまたがる、知床。
流氷が育む海と陸の生態系の豊かなつながりが評価され2005年、世界自然遺産に登録されました。
新型コロナウイルスの感染拡大前までは、北海道内屈指の観光地として全国から年間150万人以上が訪れていました。
「いたいた!あっちあっち!」
海の上からヒグマやイルカなどが間近で見られる観光船は、人気を集めていました。
そのうちの1社が知床遊覧船でした。
知床遊覧船 桂田 精一 社長:「みなさん、このたびはお騒がせして大変申し訳ございませんでした」
4月23日。知床半島沖で乗客・乗員26人が乗った観光船「KAZU1」が沈没しました。
船には知床でクルーズを楽しむのが夢だった夫婦や、幼い子どもたちも乗っていました。
これまでに20人が亡くなり、残る6人はいまも見つかっていません。
十勝地方の50代男性:「すごく優しくて活発でしたね。うん…本当に優しい子でしたよ。(息子は)電車が大好きで、いろんなところに行って電車とか見に行ったりしましたね家でもプラレールが大好きで、プラレールで線路をつなぎあわせて、ずっと遊んでいました」
十勝地方の50代男性:「(母親は)すごく強い女性でした。物事をはっきり言う。良いことは良い、悪いことは悪いとはっきりいう女性でした。いつも息子のことを一番に考えて行動していました」
十勝地方の50代の男性。小学2年生の7歳の息子とその母親はあの日、知床を訪れていました。
事故が起きてから約1週間。男性のもとに返ってきたのは息子のお気に入りのリュックサックだけでした。
十勝地方の50代男性:「知床岬の海上で見つかったと聞いています。息子に旅行に行く少し前にあげたキーホルダーで、『これに鍵とかつけてね』と言って渡しました。眼鏡がリュックの中に入っていました。多分、海に飛び込むときに母親がなくしたら困ると思ってリュックに閉まってくれたと思うんです」
十勝地方の50代男性:「最後まで…生きる望みを捨てていなかったと思う。もう会えないのかなと思うと、胸が張り裂けそうです」
知床で30年以上、民宿を営む伊藤憲子さん。
毎月23日、斜里町役場の献花台に花を手向けるのが習慣になりました。
民宿石山 伊藤 憲子さん:「やっぱり海の中に行方不明者がいるなと思ったら、来ないでいられない。まださまよっている人もいるから、早く家族にかえしてあげたい。」
知床に住む人たちも深い傷を負う中、徐々に沈没の原因が明らかになってきました。
事故当時「KAZU1」はハッチの蓋が開いて海水が流入。
船底を仕切る壁に穴が空いていたため、船内に水が広がったことなどが沈没の原因とみられています。
そして国土交通省の有識者委員会は12月22日、安全対策案をまとめました。
小型旅客船の船首に水を通さない「水密構造」を確保することや、避難港の活用などが盛り込まれました。
斉藤 鉄夫 国交相:「安全意識の低い事業者の排除、重大な事故に至ることの無いよう全力を尽くしてまいります」
一方、事故をめぐってはいまだ6人が行方不明となっています。
羅臼町の漁師、桜井憲二さん。ボランティアとして、事故の行方不明者の捜索を5月から、続けてきました。
きっかけは家族の力になりたいという思いです。
羅臼町の漁師 桜井 憲二さん:「自分が遺族・家族の立場だったらって考えるよね。俺の子どもはすっかり成人になっちゃって社会人ですけど、もしも自分の家族なり子どもが犠牲になったらやっぱりね…なんか見つかればいいよね。遺留品でももしかしたら最後の形見になるかもしれないし、遺族・家族の心の整理をつける上ではやっぱり必要なことなんじゃないかな」
海上保安庁が捜索態勢を縮小する中、探し足りない場所があると感じた桜井さん。
仲間とともに知床半島の先端付近を捜索し8月、東京から来た女性の頭の骨を見つけました。
羅臼町の漁師 桜井 憲二さん:「絶対どこかにあるだろうなと思っていたので、今回探してみてやっぱりあった。探せていない場所が必ず何かしらあるはず。やっぱり遺族(家族)のためにもっと…なんか…みんな協力して…探してやってほしい、まだ」
桜井さんは2022年だけで6回も捜索を行い、9月には船長の遺体も発見しました。
海が荒れ始める冬の知床。安全を十分に確保できないことから、第一管区海上保安本部は潜水士による捜索を来2023年春まで中断することを決めました。
巡視船や航空機による海上の捜索は続けることにしています。
桜井さんは以前、乗船者の遺体が見つかった北方領土などに行方不明者の手がかりがあるのではないかと感じています。
羅臼町の漁師 桜井 憲二さん:「陸上の捜索をするのであれば、ロシア側や国後島沿岸なんですけど、ビザなし渡航が可能だったとしたらあっち歩きたいですよね。(行方不明者を)見つけてあげたいですけどね…。終わらないですよね。なんかね」
7歳の息子とその母親の帰りを待ち続ける男性。
事故から8か月。悲痛な思いはより強まっています。
十勝地方の50代男性:「事故のあった日から時間は止まったまま。クリスマスは子どもが寝てから枕元にプレゼントを毎年あげていたのでなんで2人がいないのかなって」
大切な人はいつ帰るのか。悲しみは癒えることなく続いています。知床沈没から8か月